
- よみもの
くろば亭 山田家の系譜ーオヤジのまぐろー後編
三浦三崎のくろば亭。今や地元住⺠でさえ知らない⼈も多くなったというそのルーツを⼤正昭和、平成、そして令和へと連なる家族の系譜とともに探ります。
2022.08.30
2020.10.09
「海辺のカスカ」では、貧しくとも豊かな港町の日々の出来事や、海面を跳ねる小魚の群れに出会ったときのような微笑み、星を見上げながら思いを馳せる人々のことなどを絶妙なタッチで描く。この連載は三崎のカフェ「MP」の店主であり、音楽プロデューサーの藤沢宏光によるエッセイのようなものです。
誰ひとりとして歩いていない三崎銀座通り商店街のいつもの夜、一日の営業を終えて店を片付けていた。キッチンで出た食材の残りやコーヒーの豆のカスをビニール袋に詰めてゴミ箱に出して電気を消したら一日が終わる。ゴミ箱の蓋を開けて生ごみを捨てようとしたら灯りの消えた路地から声が聞こえた。
「なにかたべるものはありませんか」
振り返ると誰もいない・・・。そら耳か?
それにしてははっきり聞こえたな。生ごみのビニール袋を縛ってゴミ箱に入れて蓋をしめようとしたらまた聞こえた。
「なにかたべるものはありませんか」
むむむ…、どなた?
振り返るといつも商店街にいる茶トラの野良猫、おにゃんどんがそこに両手を揃えて涙目で座っていた。
「にさんにちたべていないのです、なにかたべるものはありませんか」
えーっ! おまえ今、しゃべったの?
「にゃー」
ほんとにおまえしゃべれるのか?
「にゃー」
にゃーじゃわかんないだろう、しゃべれるのか?
「じつはしゃべれます…」
すごいなあ、おまえ…、何かの化身か?
「ねこはにんげんのいっていることはほぼみんなわかります」
「でも、しゃべれるのはすくないです」
ほんとかよー。
お腹すいてるのか?
「にゃー」
ちょっとまて、パンとかハムとかならあるから。
冷凍のパンを牛乳にしたして、ハムとアンチョビを紙皿に盛ってオリーブオイルをかけてやった。
「おいしいです、にゃー」
あっという間にガジガジと食べ終えた。よっぽどお腹がすいていたんだろう。夜の三崎銀座通り商店街は食べ終えて毛繕いをするおにゃんどんと僕だけだった。
おにゃんどんは何歳だよ?
「いっさいはんです」
そうかあ、ご家族は?
「そのへんにいますがべつべつにくらしています」
ごはんはどうしてるのよ?
「いろいろなひとにもらっていますが、なんにちももらえないこともありますし、くさとか、はなとか、なんでもたべます」
そういやあ古道具屋の高橋さんは毎朝4時にご飯あげに来てるって言ってたな。有魚亭のおかみさんも猫の世話してるよな。
雨の日とか寒い日とか寝る場所はちゃんとあるのか?
「ありますけど、たいへんさむいです」
そうか、おまえも飼い猫だったら良かったのになあ。
「あれはあれでくろうもあります、きせつかんがないとか」
「うまれて2かげつまでにひろってくれないと、もうそのさきはないです」
そうかあ、厳しい世界なんだなあ。
しあわせな時もあるのかい?
「あたまをなでてもらったり、あごをなでてもらったり、ひざにのせてもらったりするとしあわせです」
おまえらゴロゴロいうもんなあ。
「こうえんのはなであそんだり、とかげをみつけてあそんだり、きにのぼったり、おいかけっこもしたりするとたのしいです」
おまえ恋人はいないのか?
「いたんです、だいすきなのが。おやとかきょうだいよりも、すきでした」
「おたがいになめるだけでしたが、なめているだけでしあわせでした」
舐めているだけで幸せなのかあ…。いいなあ、舐め合えればそれで幸せって。
おまえ達はしつこく舐めるもんなあ…。
毛繕いをやめて、距離を縮めておにゃんどんは話しかけてきた。
「テンテンをしりませんか? ずっとさがしていますがどこにもいなくて」
テンテン?
おまえ達仲良かったもんなあ、いっつもくっついてて。
観光客がみんなおまえ達の写真を撮ってたもんな。
テンテンはこないだバイクに跳ねられて死んだよ。
「しんだ? しぬというのがよくわかりません…」
死ぬのが分からない?
人間も猫も犬もいつか死ぬんだよ。
「しぬとどうなりますか…」
うーん、だいたい死ぬと終わりなんだよ。
猫だって死ぬ前にそっと家を出て行くって言うじゃないか。
「あれはからだがよわってくると、てきにおそわれるので、むれからはなれるというむかしからのしゅうかんなのです」
死んだら、埋められたり焼かれたりしてもう二度と会えないんだよ。テンテンはこないだうっかり道路に飛び出してバイクに跳ねられたんだよ。バイクはそのまま行っちゃったらしいけど、魚屋のまるいちのやっちゃんが死体を丁寧に処理してくれたんだって。
バイクは悪くないってどこかの娘が言ってたけど、そういうことじゃあないんだよ。狭い商店街だけどみんな飛ばすからなあ、危ないんだよ。猫も右みて左みて渡らなくちゃ危ないんだよ。
「テンテンはもうもどってこないのですか…、それはさみしいです」
おにゃんどんは夜空を見上げて、にゃーっとひと泣きしてどこかに歩いていった。
ペットボトルをたくさん並べて野良猫を嫌う人もいるし、すれ違いざまに蹴り飛ばす人もいる。それでも小さな命は愛しいもののはずだ。
店の入り口の戸を閉めて灯りの消えた店に座って携帯の中にあるテンテンとおにゃんどんの写真を見た。本屋や駐車場や植込みやトタン屋根の軒下や道路の真ん中で抱き合ったままひと塊りになっているテンテンとおにゃんどんの写真がたくさんあった。
あったかい春の日も、大雨の日も、いつも一緒だったふたり。こいつらずっと一緒にいたかったんだろうにな…。と思ったら泣けてきた。
ひとり鼻水をすすっていると、ガラガラっと店の入り口の引き戸が10センチほど開いた。ふりかえるとそこには誰もいなくて、にゃーっという子猫の鳴き声と優しい夜風がふわりと入ってきた。
三浦三崎のくろば亭。今や地元住⺠でさえ知らない⼈も多くなったというそのルーツを⼤正昭和、平成、そして令和へと連なる家族の系譜とともに探ります。
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2021.10.15