2020.02.27

海に向かって、歌を歌う|海辺のカスカvol.01

  • 藤沢宏光
  • エッセイ
  • MP
海に向かって、歌を歌う|海辺のカスカvol.01

「海辺のカスカ」では、貧しくとも豊かな港町の日々の出来事や、海面を跳ねる小魚の群れに出会ったときのような微笑み、星を見上げながら思いを馳せる人々のことなどを絶妙なタッチで描く。この連載は三崎のカフェ「MP」の店主であり、音楽プロデューサーの藤沢宏光によるエッセイのようなものです。

海に向かって、歌を歌う

港町三浦三崎は鮪の水揚げ基地として繁栄の極みのような時代を経て、現在もなお漁業によって支えられている。三方を海に囲まれ、今日もどこよりも先に東から朝日が昇り、大げさでダイナミックな夕日が西に沈む。日照の豊かな丘はさまざまな野菜を育て、「三浦ブランド」の農作物も大変な人気だ。

畑の人たちは早朝から日没まで働き、一日の終わりに汗をぬぐいながら「夕日よ、おまえも疲れただろう…」と語りかけている。すべてが自然との対話により成り立っているこの町。昭和の面影が色濃く残る下町商店街は映画のセットのような佇まいで、すれちがう猫も出番を待つ役者のような風格を漂わせている。

東京の真っ只中のそのまた音楽業界の真っ只中で風を切るように生きてきた僕が、この港町に移住をしたのは2004年、ちょうど四十五の春のこと。今にして思えば、パッケージビジネスから音楽配信に移行をしてゆく時期で、音楽制作の環境も大きく変わり、長い年月を経験を頼りに舵を取ってきた古い船乗りたちは船を降りる選択を迫られていた。
「人生は勝つか、逃げるかだ」というコメディアンの萩本欽一さんの名言のように、僕はきっと逃げて三崎へやってきた。戦わずして勝つ方法はないだろうかと。

2008年に地元で40年近くの歴史を持つ児童合唱団「かもめ児童合唱団」と出会った。プロデュースを始めたのは、長い年月をかけて音楽業界で培ってきた経験がこの町で役に立てるかもしれないと考えてのことだ。そしてなによりもとにかく暇を持て余していた。

最初のシングルCDは「城ヶ島の雨/あなたが美しいのは」で、ごく普通の洟をたらしたいたずら好きの小学生が叫ぶように歌う歌は、こころある音楽ファンには新しい叙情派パンクミュージックとして受け入れられた。記念すべき第一歩だったけれど、僕の心は意外と凪のように静かだったことを覚えている。

「半島の先端の港町で大声で叫んでもきっと誰の邪魔にもならないだろうし、気に留められることもないだろう、だって僕たちは海に向って歌っているんだから」と。

翌2009年には第二作としてミルトン・ナシメントの名曲「トラベシア」を、遠くブラジルのバイーヤの町と日本語詞を作詞したかしぶち哲郎さんに届けと、海に向って歌った。貧富の格差の激しいブラジルの貧民街に育ったミルトンが、いつの日か希望の橋(トラベシア)を掛けようという歌で、城ヶ島大橋を横目に見ながら海に向って歌うにはぴったりの歌だった。

今日も、かもめ児童合唱団は海に向かって歌っている。

目の前に広がる海のずっと向こうにはみたことも無い世界があり、そこには生きて行くうえで必要なものとは何かを教えてくれる人たちがいる。太鼓を叩いて祝いの歌を歌う人たち、月明かりの浜辺で愛の歌を歌う人、荒海で操業する漁師たち、たったひとりで夜の海を旅をする人。

愛犬を連れ散歩の途中、岸壁に立ち海をみている人を見かけると「歌を歌っているのかもしれない」と、僕はいつもそう思う。


「海辺のカスカ」では、貧しくとも豊かな港町の日々の出来事や、海面を跳ねる小魚の群れに出会ったときのような微笑み、星を見上げながら思いを馳せる人々のことなどを絶妙なタッチで書けたらなあ……。と思っています。

藤沢 宏光この記事を書いた人藤沢 宏光
広島県出身。20歳で上京しミュージシャンのマネージメント業務を経た後、音楽プロデューサーとして「The BOOM」「小野リサ」など数々のアーティストの作品制作を行う。2004年に三崎に移住。2010年に三崎銀座通り商店街で「ミサキプレッソ」、2012年「ミサキドーナツ」を開店。地元三崎の「かもめ児童合唱団」のプロデュースを現在も務める。

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