- よみもの
くろば亭 山田家の系譜ーオヤジのまぐろー後編
三浦三崎のくろば亭。今や地元住⺠でさえ知らない⼈も多くなったというそのルーツを⼤正昭和、平成、そして令和へと連なる家族の系譜とともに探ります。
2022.08.30
2020.08.23
「海辺のカスカ」では、貧しくとも豊かな港町の日々の出来事や、海面を跳ねる小魚の群れに出会ったときのような微笑み、星を見上げながら思いを馳せる人々のことなどを絶妙なタッチで描く。この連載は三崎のカフェ「MP」の店主であり、音楽プロデューサーの藤沢宏光によるエッセイのようなものです。
ずっと犬を飼ってきました。
その昔、多摩川の近くに住んでいた頃は、口の周りの黒い雑種犬を飼っていました。
盗っ人のような面構えだったけれど小心者で心優しい犬でした。
名前は「多摩川」
近所の人たちは「たまさん」と呼んでいました。
成長期に階段の昇り降りで上半身が筋肉質になり、下半身はひ弱なバランスの悪い体型になりました。
それが滑稽で当時「ビックリハウス」誌の中で著名なアーティストとポートレートを撮影しましたが、その写真を見ると赤いおちんちんがマテ貝のようにニュッと顔を出していて、慣れない場所で緊張したんだろうけれど恥ずかしかったなあ。
たまさんはまだ若いころにうっかり道路に飛び出してトラックに跳ねられて亡くなりました。
その後しばらくして、ゴールデンレトリバーを飼いました。
田村正和の主演のドラマで観たのがきっかけでした。
名前は「ギンズバーグ」
ビートニク詩人のアレン・ギンズバーグに所縁ますが、近所の人たちは「ぎんさん」と呼んでいました。
今のようにポピュラーになる前のこの犬種は、体格が良く体重が45キロもあって立ち上がるとちょうど音楽家の大貫妙子さんと同じ大きさでした。
ゴールデンレトリバーはたぶん世界で一番飼って楽しい犬種だと思います。
とにかく賢い犬で人間の言葉をほとんど理解していたし、お腹をこわしたりして体調の悪いときは自分からすたすたと動物病院に向かって歩いていきました。
通りを歩く人たちを庭先で呼び止めるのが趣味で、町内の人たちのほとんどは僕は知らなくともみんなぎんさんの顔見知りでした。
大好きな食べものを与えると全身でよろこんで駆け回り、その大好きな食べものを土を掘って埋めました。
掘り返して食べるわけではなく、うれしすぎて埋めちゃうくせがありました。
犬らしいどこかお馬鹿なところがこの上なく可愛かったのです。
ぎんさんが12歳で亡くなった時はまるで人間の葬式のようにたくさんの人たちが集まって見送ってくれました。
その後、三浦三崎に転居をしてしばらくして、オーストラリアからノンアレルギー犬でセラピードッグとして開発されたオーストラリアンラブラドゥードルを輸入しました。
今は亡き音楽家の佐久間正英さんから、「素晴らしい犬がオーストラリアにいるらしいよ」という情報から始まりました。
生後3か月で三崎にやってきたその子犬にはブラジルの音楽家ミルトン・ナシメントから「ミルトン」と名付けました。
いつのまにか「みっちゃん」と呼ばれるようになり、セラピードッグという触れ込み以上に、そもそも人間のような犬でした。
体重は25キロで幼稚園児くらいでムクムクとした白いカーリーヘアーで目はブルーで鼻はチョコレート。
ミルトンは普段は椅子に座ってテレビを観ていました。
どこへ連れて行ってもまず自分の椅子を探しました。
2足で立ち上がり両手を使ってテーブルの上のものを掴みました。
先代のギンズバーグは言葉がわかりましたが、ミルトンは心の中を読む力がありました。
ソファに座ってミルトンと一緒に映画を観ていて、映画が終わり僕の頭の中で「そろそろ散歩にでも行くかな」と思うと、隣りで退屈そうにしていたミルトンがムクっと立ち上がって「さあ行こう!」という。
「まだ行かないよ」って僕が言うと、「今、行こう」って思ったじゃないかと顔を近づけてすごい形相で抗議します。
僕がいろいろなことが上手くいかなくて夜も眠れなくて悩んでいると、気が付くとそばにいたミルトン。
元気な人には飛びかかって喜びを表すけれど、お年寄りや足の不自由な人には決して飛びかからなかったミルトン。
夜中にそーっとドアの隙間から見ると、片膝を立ててソファに深々と座り、犬のガムをくわえながら腕を組んでテレビを観ていたミルトン。
11年の生涯を終えて、お骨は海に流そうと思っていたけれど、今でも居間のテーブルの上に置いたままのパウダーになったミルトン。
犬の一日が人間の七日分だとしたら、もっともっといろいろな所に遊びに行ってみたかっただろうし、美味しいものをもっと食べたかっただろう。
海を泳いだり川に飛び込んだり雪を滑ったり野原を走ったりしたかったよね。
どこの神様が犬をつくったのかは知らないけれど、こんなにも疑うことを知らず愛に溢れた生きものをありがとう。
昨日、朝シャワーを浴びていたらいつものシャンプーが切れていて、困ったなあと思ったら隅っこに動物病院で買った犬用のシャンプーがあった。
まあ、これはこれで人間が使ってもきっと大丈夫だろうと思って、洗い始めるとお風呂の中すべてがあの香りに包まれた。
そばに座ってテレビを観ていたミルトンの匂い。
ぎゅっと抱きしめたときのミルトンの匂い。
僕はどうしようもなく涙が止まらなくなった。
三浦三崎のくろば亭。今や地元住⺠でさえ知らない⼈も多くなったというそのルーツを⼤正昭和、平成、そして令和へと連なる家族の系譜とともに探ります。
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