2020.08.23

【試し読み】いしいしんじ「みさきっちょ」

  • おみやげ
  • いしいしんじ
  • おみやげ
【試し読み】いしいしんじ「みさきっちょ」

三崎にある出版社「アタシ社」から刊行された「みさきっちょ」。作家いしいしんじが三崎で過ごした奇跡の日常。町の情景やお店、人物などすべて実名で登場しています。ドキュメンタリーのようでファンタジー。いしいしんじの見た風景、聞こえてくる言葉、時が流れても色褪せることはない。

goooneにて、「みさきっちょ」の第一話試し読みを掲載します。三崎を舞台にした小説「みさきっちょ」は自分へのお土産にもぴったり。三崎からの帰り道、赤い電車に揺られつつ、読んで帰ってほしい。特別な一冊です。

第1話 カニとり

オレが住んでたのは、日の出。西村さんの横に昔、コインランドリーあったべ。いまは地べたの駐車場になってっけど。あの隣。モチクの坂おりてった角の白い家。

前は、小学校の、白木先生がひとりで住んでたって。

東西南北、四方に窓があんだよ。天気のいい日は夜明けからぜんぶあけて風いれて、で、ボーッとして、ちょこちょこっ、て鉛筆うごかして、またボーッとして、また、ちょこちょこっ、て鉛筆うごかして……。

すんとよ、正面の窓の下、うちのまん前のアスファルトから、頭わるそうなガキどもの合唱が、不気味な声で、わきあがってくんだよな。

しんだ、しんだ、いしい、しんだ

しんだ、しんだ、いしい、しんだ

しんだ、しんだ、いしい、しんだ

「しんでへん」

海側の窓から顔だしてどなる。

「ぜんぜん、しんでへんわ。オレ、朝からタマゴくうて、じゅうぶんすぎるくらい、二十二世紀くらいまで生きとるっちゅうねん」

「ねー、しんださん」

リーダー格のめいが淡々という。

「ねー、カニとりにいこーよー」

「は。カニとり?」

オレは、イタリア人みたいに肩をすくめ、手をひろげて、

「おまえら、あのな。見ててわからんか? オレ、いま働いとんねん。ずーっと、小説、てわからんか、マンガやない、字ぃの本のはなし、書いてるとちゅうやねん。な、じゃますんせんとな、はよ、帰れ。去ね。な」

と、また、歌がはじまんだ。

しんだ、しんだ、いしい、しんだ

しんだ、しんだ、いしい、しんだ

しんだ、しんだ、いしい、しんだ

真っ昼間から不吉な合唱をバックに、めいの妹、五歳のるなが、

「うそだね!」

全身でどなる。

「さっきからうちら、ずっと見てんだよ。しんださん、さっきからずっと、ぜんぜーん、はたらいてねーじゃん。ボーッとしてんだけじゃん。ずーっと、見てたんだって。ネ! だからもう、さっさとカニとり、いくよ。ボーッとしてんじゃねーって!」

「ワカリマシタ」

オレは神妙につぶやくと、コトコト階段おりて、虫かごに捕虫アミさげて、玄関をでてく。太陽の光がめちゃまぶしい。ガキどもの背中はみんなガーナ人の影みたいに真っ黒く日焼けしてる。

この港に越してまだ八ヶ月のオレ。三崎のことについっちゃ、五歳のガキであろうが、三歳の猫だろうが、あっちがセンパイだ。向こうに理があんときは、どんなことだって従わなくちゃなんない。

岸壁じゃカニ八匹つかまえた。センパイたちはギャアギャア叫んで喜んだ。机でボーッとしてるよりか、よっぽど働くじゃん、しんださん、カニとりになんなよ、ぜってーそのほうが向いてるって、て、そうアドバイスされた。

小学校の図書館にあるような本の手触り感
絵本作家・長谷川義史さんの「三崎スケッチ」も収録
花布やしおり紐も三崎をイメージしたカラーに
ミネ シンゴこの記事を書いた人ミネ シンゴ
1984年生まれ、横浜市出身。美容師4年、美容雑誌編集者2年、リクルートにて企画営業を3年半経験し2015年に夫婦出版社「アタシ社」を設立。2017年より8年住んだ逗子から三崎に拠点を移し、三崎銀座通り商店街に「本と屯」をオープン。2020年2月には本と屯の2階に「花暮美容室」を開業。下町でほぼ毎日飲んでいる、人たらしな編集者。

Other Articlesその他のよみものの記事

Page top